この週末、主人は関西に帰省。自由時間をどんな風にして過ごそうか少し前から考えていて、結局夜のドライブと映画鑑賞をすることに決めた。
どっちかって言うと、ドライブが目的。どうして夜かというと、昼間だと仕事や家事の延長のような気がするから。で、車の運転がそれほど好きなわけでもなくてゴールがないと動けないタイプだから、程よい距離を行ったところにシネコンがあるので、じゃあ久しぶりに映画でも見に行こうかな、って感じで予定が成立。
この日の夜は霧雨。少し肌寒くて少し濡れた感じの空気が、なんとなく冬になる前の金沢を連想させて、一人ドライブに打って付けな感じ。楽しかったこととか嬉しかったことだけじゃなくて、あんまり思い出したくない部類の記憶も蘇ってきて、そんな感傷的な気分の時に車の中って妙に居心地よくて、やっぱりドライブに出て正解だった。
観に行った映画は、封切りになったばかりの「マザーウォーター」。大きな出来事は何にも起きなくて、登場人物の感情もずっと単調で、どこにでもありそうな日常のシーンばっかりなんだけど、それがひとつの映画としてつながってしまうと現実味がなくなって色褪せた夢の話しのような気がしてくる、不思議な映画だった。
少ない登場人物が、特別な刺激や変化を求めることなくのんびりゆったり暮らしている中、ふとしたきっかけでお互いに言葉を交わし始めて距離が縮まり、単なるご近所さんから‘ちょっとした知り合い’になっていって・・・でも、だからって何かが変わるわけじゃなくて、結局いつもと同じように毎日が過ぎていく、というあくびが出るような間延びした内容に、途中から一生懸命観るのを止めた。ぼーっと眺めながら、あんな風に暮らせるなんてある意味贅沢だなぁとか、静かに平穏に生きるって東京じゃ無理だなぁとか、少し皮肉な気持ちになってしまった。
観終わった感想も、一応京都が舞台になっていたけど、わかりやすい京都のシーンってほとんどなくて、京都弁話す人もほとんどいなくて、そういえば何で京都?って思ったことと、もたいまさこのおうちにあるキッチンってパスコのCMで使われてる小林聡美のキッチンだよなー、っていう、どうでもいいもの。
ドライブは正解だったんだけど、この映画を選んだことが果たして正解だったのかは、うーん、今もわからない。